先日札幌駅の土産物屋さんで、修学旅行生を見かけました。

きっと色々と決まり事があるなかでの旅行かと思いますが、楽しそうな様子を見てホッとしました。

 

制服姿の学生を見ていたら、そういえば主に小・中学校では、『挨拶』について教えられる機会が多かったことを思い出しました。

 

『挨拶しなさい』と言われてできるようになることももちろん良いと思うのですが、子供の頃、有難いことに『自分から挨拶したい』と思わせてくれる方がいました。

 

近所に小さな商店があったのですが、店の前には飲料自販機が数台並んでいて、下校時間のタイミングなどに商店のおじさんが自販機に商品を補充している光景を目にすることがよくありました。

優しくていつも声をかけてくれるそのおじさんのことが大好きで、見かける度にドキドキしながら近づいて挨拶をしていました。

その挨拶は義務的なものではなく、話したいからまず会話のきっかけとしてする…という位置付けのものでした。

たしかに考えてみると挨拶には、なくてはならない前座のような要素もあるなぁと思います。

 

ちなみに学校では自分は挨拶をしていたほうだと思いますが、先生が挨拶について話す度、生意気にも、“生徒が『挨拶したい』と思うような魅力的な人になればいいのだ”と、商店のおじさんのことを思い浮かべながら思っていたものでした。

 

また、初めて一人暮らしをした土地では、家の近くにあったコンビニの店長さんがとても良い方で、帰宅時に立ち寄ると「おかえりなさい」に加えて一言二言お話をしてくれました。

会社の人以外に知り合いがほとんどいない環境だったので、そのお心遣いがとても嬉しく生活の楽しみのひとつになっていました。

コンビニ店内ではいつも声をかけてもらう側だったので、たまにコンビニ近くで店長さんを見かけたときには、急いで駆け寄って挨拶していました。

 

少し話はそれますが、挨拶でもなんでも、『自らやりたい』という気持ちにさせてくれる人って凄いなと思います。大袈裟かもしれませんが、魔法にかかったように感じることもあります。

 

話を挨拶に戻して、最後に。

最近、ある曲の「俺たちが残すべき道」という歌詞がポーンと耳に入ってきてずっと残っています。

商店のおじさんが教えてくれたような挨拶を、自分も次の世代へ繋げられたら…と思います。