皆さん、こんにちは。社会保険労務士の倉雅彦です。

日頃より、企業の労務管理や職場環境の改善について、多くの経営者様や人事担当者様とお話しさせていただいております。本日は、これから迎える大きな法改正の動きを踏まえつつ、私が常日頃から大切だと感じている「職場づくりの本質」についてお話ししたいと思います。

さて、皆様は2026年(令和8年)4月から施行される「改正労働施策総合推進法」についてご存知でしょうか。この改正により、病気や怪我の治療と仕事の両立支援に取り組むことが、事業主の「努力義務」となります。

これまでも多くの企業で、病気を抱えた従業員への配慮はなされてきたことと思いますが、法律として明文化されることの意味は小さくありません。がんや脳卒中、心疾患、あるいは難病など、長期の治療が必要な病気にかかる方は年々増加傾向にあります。医療技術の進歩により「病気=退職」ではなく、「治療しながら働く」ことが当たり前の時代になってきました。

企業には、従業員からの相談に応じ、適切に対応できる体制や環境を整備することが求められます。具体的には、トップによる方針表明、研修を通じた意識啓発、相談窓口の明確化、そして時間単位有休や時差出勤といった柔軟な勤務制度の導入などが挙げられます。

しかし、私はあえて申し上げたいのです。「法律が変わるから」「制度を作らなければならないから」という受け身の姿勢だけで、本当に治療と仕事の両立は実現できるのでしょうか。

法律や制度だけでは、両立支援は成功しない

社労士という立場上、私は普段から就業規則の作成や各種規程の整備をお手伝いしています。もちろん、ルール作りは大切です。休職制度が整っていなければ安心して休めませんし、短時間勤務の規定がなければ復帰のハードルは高くなります。

ですが、どれだけ立派な制度を作っても、それを運用するのは「人」です。そして、その制度を利用する当事者が一番気にしているのは、法律の条文ではなく、「職場の人間関係」なのです。

私がこのように考えるようになった背景には、ある忘れられない経験があります。

「理解してくれない職場なら、いっそ辞めた方が気が楽だ」

今から6年前のことです。私は「両立支援コーディネーター」としての知見を深めるため、専門の研修を受けていました。その研修の中で、医療従事者や企業人事、そして私のような社労士が集まり、グループディスカッションを行う機会がありました。

テーマは「治療と仕事の両立において、最も障壁となるものは何か」。

様々な意見が出される中で、グループ全員が深く頷き、結論としてまとまった一つの意見がありました。それは、実に生々しく、胸に刺さる言葉でした。

「結局は、職場で働く仲間次第だ。もし、自分の病気や状況を理解してくれない職場なら、無理してしがみつくよりも、いっそ辞めてしまった方が精神的に気が楽だ」

この言葉が出たとき、私はハッとさせられました。

病気になった従業員が最も恐れているのは、病気そのものの苦しみだけでなく、「職場に迷惑をかけているのではないか」「同僚から白い目で見られているのではないか」という孤立感です。

制度があっても、「忙しいのにまた休むのか」という無言の圧力が漂う職場では、誰もその制度を使えません。逆に、制度が多少不十分でも、「お互い様だよ、今は治療に専念して」と心から言える仲間がいる職場なら、当事者は安心して働き続けることができます。

つまり、治療と仕事の両立支援の成否を握っているのは、経営者や人事担当者が作る「紙の上のルール」以上に、現場で共に働く上司や同僚との「関係性の質」なのです。

「挨拶」から始まる、心理的安全性の構築

では、そのような「理解ある職場」「温かい人間関係」はどうすれば作れるのでしょうか。いきなり高尚なチームビルディング研修をする必要はありません。私は、もっとも基本的で、かつ強力なツールがあると考えています。

それは、職員同士の「挨拶」です。

「なんだ、そんなことか」と思われたでしょうか。しかし、毎朝の「おはようございます」、帰りの「お疲れ様でした」が、相手の目を見て、明るく交わされている職場がどれほどあるでしょうか。

挨拶は、相手の存在を承認する行為です。「あなたのことを認識していますよ」「今日も一緒に働けて嬉しいですよ」というメッセージです。

日頃から挨拶すらろくに交わさない関係性の中で、いざ誰かが病気になったときに、「大丈夫?」「何か手伝おうか?」という深いコミュニケーションが生まれるはずがありません。挨拶という小さな接点の積み重ねが、いざという時の信頼関係の土台となります。

治療中の社員は、体調の変化や通院の予定など、言い出しにくいことを相談しなければなりません。その心理的ハードルを下げるのは、日頃の何気ない「挨拶」と、そこから生まれる雑談や笑顔なのです。

ハラスメント予防の意識を、経営トップと現場双方に

そしてもう一つ、人間関係の土壌づくりに欠かせないのが「ハラスメント予防」の意識です。

病気を抱える社員に対する、心ない言葉や態度は、いわゆる「病気ハラスメント(シック・ハラスメント)」になりかねません。「病気のせいで仕事が遅い」「いつまで治療が続くんだ」といった言葉は、当事者の心を深く傷つけ、退職へと追い込みます。

重要なのは、これを単に「管理職が気をつけるべきこと」として終わらせないことです。経営トップから、現場で働く一般社員、パート・アルバイトの方に至るまで、組織全体で「ハラスメントは許さない」「お互いの事情を尊重する」という意識を共有する必要があります。

誰しもが、明日は我が身です。自分が病気になったとき、家族の介護が必要になったとき、どんな職場で働きたいか。その想像力を働かせることが、ハラスメントのない、風通しの良い職場づくりにつながります。

経営者の皆様には、ぜひトップメッセージとして、「我が社は、社員がお互いを支え合う人間関係を何よりも大切にする」と宣言していただきたいのです。そして、管理職だけでなく全社員に向けた研修の機会などを通じて、その想いを浸透させていくことが重要です。

おわりに:制度という「骨格」に、人間関係という「血」を通わせる

2026年の法改正に向けて、各企業様では規定の改定や体制整備が進むことでしょう。それは非常に素晴らしいことです。

しかし、どうか忘れないでください。

制度はあくまで「骨格」に過ぎません。そこに温かい人間関係という「血」が通って初めて、治療と仕事の両立支援という「命」が職場に宿ります。

「職場の仲間次第」という言葉は、裏を返せば、職場の仲間が良い関係であれば、どんな困難も乗り越えられるという希望でもあります。

治療と仕事の両立ができる企業になること。それは、病気の人だけのための施策ではありません。誰もが安心して働き、能力を発揮できる、強く優しい組織へと進化するための絶好の機会なのです。

私、倉雅彦も、制度設計のプロフェッショナルとして、そして働く人の心に寄り添うパートナーとして、皆様の職場づくりを全力でサポートさせていただきます。共に、「辞めた方が楽」ではなく、「この職場で働き続けたい」と思える会社を作っていきましょう。